昭和29年3月卒業の84才を迎え、現在もスナオ電気㈱の代表取締役として会社の運営に努力しています。

南高時代の3年間はカメラ部・卓球部と楽しい日々を過ごして参りましたが、いよいよ社会人として就職を考えた時は戦後10年。復興したとは云え、まだまだ安定したとは云えません。就職を希望した私共は狭き門でしたが、幸いにも私は浜松の染色工場に勤める事が出来ました。当時1日働いて金300円でした。当時の繊維産業は大変な活況時で残業、日曜日出勤等1ヶ月100時間は普通でした。

チャンスをつかみ夢だった仕事で起業

私には電気に関する仕事への夢があり、チャンスを待って居ました。幸いにも東京の友人からの紹介で電気関係の会社に就職出来ました。5年程勤めた頃タイムスイッチの開発依頼があり、試作に着手し7日程で完成しました。依頼先に納品し試験的に工場内に使用していただき、その後15台の註文をいただきました。独自設計した製品であり、早速特許とカレンダータイマーの商標登録を致しました。このタイマーが契機となり、昭和42年3月1日東京大田区にスナオ電気㈱の設立を致しました。先輩から会社経営の理念として常に大きな目的を持ち、会社経営に努力して下さいとアドバイスをいただきました。

3つの言葉を理念とし努力の日々

  SURPASSING —— 優れた技術をもって製品開発
  NATIONALITY —— 日本国民性を発揮
  ORIGINALITY —— 独創性のある製品開発

起業の心構えとして3つの言葉を理念として努力の毎日でした。振り返って見れば激動、山あり谷あり、不況時もありました。しかし幸いにも50年と云う会社経営を終え八十路を迎える事は感謝に耐えません。

昨年50周年記念事業の一環として「やらまいか経営で『ニッチ市場を創る』起業から五十年の記録」を刊行致しました。出来る限り客観的にまとめ、誰でも自分の意志で人生を切り拓く喜びが得られる事を訴えたく恥ずかしながら執筆致しました。若い人達が将来に希望を持ち、苦労に立向い、素晴らしい人生を送って欲しいとの願いを込めました。起業を目指す方々に自主独立の道を歩んでいただきたく、生き甲斐と苦労や自己責任が伴いますが、専門メーカーの自主独立経営が醍醐味です。今日の製造業と環境は大きく変化しておりますが常に省エネルギーの技術で社会に貢献して参ります。