33年前 尾崎楠馬先生の生家を探し求めて 長崎大学サイクリング部OB会を兼ねた企画で
私は33年前(平成2年)、高21回生の評議員鈴木厚氏を筆頭に同窓会総会幹事を務めた際、安部寛氏を中心に作成したビデオ『ドカ中賛歌・尾崎楠馬物語』を見て感動し、居ても立ってもおられず、生誕地である高知県赤野村を訪れました。
一人では心許ないと考え、学生時代に属していた「長崎大学サイクリング部」初代部長の髙橋光男さんが商社を早期退職して実家の後継者になり呉服屋として高知市に在住していることを思い出し、あることを計画しました。それは、磐南初代校長尾崎楠馬先生を訪ねることと長大サイクOB会をドッキングして高知で開催し、時間が許せば尾崎先生の生家を探索してみようという計画です。
船本楠吉さんほか多くの人に巡り会う
この計画は、4年後に実現しました。
平成6年に長大サイクOB26人は高知駅に集合し、40㎞東にある赤野村に向かいました。そして、尾崎家の情報を集めるため、「50年以上前に静岡の方で中学校の校長をやられた尾崎楠馬という方を探しておりますが」と声かけして駆け回ると、尾崎光男さんという遠縁の方に出会い、草茫々に朽ち果てた生家を教えてくれました。
東へ12㎞先の安芸市にある船本文具店が叔父の楠吉氏の実家だと教えてくれ、楠吉氏の息子の妻・籌子さんが老人施設に入所しており、孫の浩一郎氏が高校の校長をして県の教育に詳しい方であると紹介して下さいました。
更に、「考える村」という施設の村長の山川隆澄氏は、浩一郎氏の縁者であるとのことでした。考える村は、「自然に中に人間の生き方を考える」ヒューマニズムに溢れた地であることを後で知りました。
磐南と高知とのパイプ次第に強まる
赤野村の寺の墓地は1㎞東の老人ホーム・八流荘の敷地に隣接しており、眼下の砂浜がずっと西方に広がる風光明媚な所でした。この地で、3年後に大橋忍同窓会長のもと、尾崎楠馬氏の50回忌法要が執り行われることになりました。
私は1人高知に飛び込みましたが、その後、「同窓会だより」編集委員長を務めた橋本洋子(高14回)さんは10数回高知を訪問され、高知とのパイプが次第に強固になったものと感慨に耽っております。
高知は面白いところ
高知は面白い所だとつくづく実感します。高知の数々の山村を訪ねましたが、安徳天皇に由来する地が多かったです。先日の「らんまん」に登場した佐川町の北西にある自然豊かな横倉山も安徳天皇御陵墓参考地があります。大川村、平家平、寺川村、土居・椿山、別枝・都などです。また、神木となる大樹の神社が数多くあります。
土佐っ子である尾崎先生の楠馬イズムが、江戸から明治にかけての日本を救わんとする精神と合致しており、すっと心に入ってきます。
尾崎楠馬先生の生誕地を尋ねる旅は、学生時代に自転車で地球を一周回る距離を走った私には、思いがけない素晴らしいサイクリングでした。
100周年記念事業の一環として出版された『評伝尾崎楠馬~教育に捧げた生涯~』(津川悟著)を拝読して、このような拙文を書く気持ちになりました。