尾崎楠馬校長ほか160名の寄せ書き
このほど、先の太平洋戦争で戦死した堀内四郎さん(中15回)が出征の折、身に付けていた日章旗と兵士タグ(認識票)がアメリカから返還され、磐田市小島の堀内薫さん(四郎さんの甥)宅に戻りました。
この日章旗とタグは、戦地から元米軍兵士が持ち帰り保管されていたもので、遺族が判明したことから、仲介団体(オレゴン州のNPO・日本遺族会)の橋渡しにより返還が実現しました。
四郎さんは、教職を志して見中から浜松師範学校に進み、昭和18年9月に卒業。三島市徳倉国民学校訓導として教師の道を歩み始めて、わずか半年足らずで召集令状を受け取りました。昭和19年3月に出征し、翌20年1月フィリピン・ルソン島においてアメリカ軍と激戦の末、戦死しました。23歳でした。
日章旗には、見中在校中の尾崎楠馬校長による「宣揚皇道 為堀内四郎君 尾崎楠馬書」の揮毫のほか、160名(恩師、友人、親族等)におよぶ寄せ書きがあります。薫さんは「父武義さん(四郎さんの兄:中1回)が尾崎校長に揮毫をお願いしたのでは」と語っています。尾崎校長と教え子との親交の深さが窺われます。
75年の歳月を経て、遺品とともに四郎さんの御霊は遺族の元へ戻り、今は故郷の地で安らかに眠ることができているに違いありません。合掌。