秩父宮別邸での総合優勝杯受賞式

◆◆高1回の評議員である小杉榮一さん(90歳)にお話を伺いました◆◆

私が見付中学校に入学したのは、昭和18年4月のことでした。入学試験は内申書重視で、試験当日は口頭試問と実技検査(懸垂・短棒投げ・1000m走など)が行われ、筆記試験はありませんでした。

戦後いち早くできた陸上競技部に転部

中泉国民学校(現 磐田中部小学校)の頃から足は速かったのですが、友人の父親が見付中学校の教員で柔道を指導していたこともあり柔道部に入部しました。戦後、柔術が禁止され、昭和20年9月に伊藤菊造先生が陸上部を作ってくださったことがきっかけで、陸上競技部に転部しました。他校で陸上部ができたのは昭和21年4月でした。見付中学校陸上競技部の活動が他校と比較して半年先行していたことは結果的に大きな意味があったと思います。

全国中等学校陸上競技対抗選手権大会総合優勝

授賞式に準備が間に合わなかった総合優勝杯

 昭和22年8月、京都(西京極陸上競技場)で開催された秩父宮賜杯第29回全国中等学校陸上競技対抗選手権大会で総合優勝しました。大橋敏弘(200m優勝)福田和三郎(砲丸投げ優勝)、大橋敏弘・小池芳雄・中村貫・青島昭(4×100mリレー優勝)ほか多くの選手が上位入賞したのです。その時、なんと授賞式に優勝杯の準備が間に合わなかったのでした。そのため、私たちは代替の優勝杯をいただいて帰りました。(写真下 中央が総合優勝杯の代替品)

秩父宮別邸(御殿場市)で優勝杯授与式

翌年3月、優勝杯ができたという知らせがあり、皆川英夫校長、伊藤菊造先生、3年生の部員3人で秩父宮別邸(御殿場市)に行き、秩父宮殿下から優勝杯をいただきました。(写真下)

殿下は、見付中学校のことをよくご存じで、「かつては、水泳で優秀な選手を多数輩出し、今回は陸上競技で立派な成績を収めて素晴らしい」と仰ってくださいました。誇らしい思いで帰ってきました。

前列 左から鈴木洋次(棒高跳び)・青島昭(400mリレー)優勝杯を手にする小杉榮一(800m)
秩父宮殿下・皆川英夫校長・伊藤菊造先生 (1948年3月 秩父宮別邸にて)