冷泉家の「花貝合せ」との出会い
51年前に愛知芸大のデザイン科を卒業後、10年ほどの間、デザイン事務所・広告代理店を経て、フリーでデザインやイラストの仕事を続けたものの「何か違う」と感じ始めた頃に蛤貝の内側の白い面に魅かれて、好きな花を描くようになった。
そんな時、奇しくも京都冷泉家の財団設立に伴う至宝の公開が話題になり、アサヒグラフの表紙を大きく飾ったのが、冷泉家の「花貝合せ」であった。1981年のことである。その後、デザインの仕事に見切をつけて、毎日植物をスケッチする日が続いた。野山を探索し、野草や木々の花実を撮影したり育てたり、植物との付き合いに明け暮れた。
丁寧に時間をかけて描く
一方蛤貝は、あちこち探し回って大ぶりのものを求めたり、産地から送ってもらったりして、上質の貝を一年ほどかけてきれいにする。大変な作業であるが、下絵作りもさらに時間と手間がかかる。湾曲した面を考えての逆算をする。貝合わせは美しくなければならないという信念から、丁寧に細かく時間をかけて描く。千年前に発祥した貝合わせの歴史は、制作を続けつつ少しずつ調べた。
その後、まさに導きとしか思えぬ冷泉家との御縁が待っていてくれた。冷泉邸を訪問して、あの花貝合せを手に取って拝見する機会をいただいたのである。和歌詠歌の御指導も戴くようになった。貝合わせは発祥当初より和歌と密接な繋がりがあり、私はその双方の導きをいただくことになったという奇跡的な運命のもと、現在は「風心流四季の花合わせ」として、和歌と貝合わせを組み合わせた作品や遊びを遺してゆく作業を進めている。
「貝覆い」 日本の最も古い遊びの一つ
従来の「貝覆い」といわれた遊びは、日本の最も古い遊びの一つとして後の様々な札遊びの原型ともなっていることを知る人は少ない。速取りを競う百人一首大会とは真逆の、ゆったりと静かな遊びの時間空間が忘れられつつあるのが残念である。
いつかコロナ禍が収まり、貝合わせ遊びを若い人たちにも伝えられる日が来ることを願っている。そして、美しい四季が失われぬことを……。