「人間とは何か」を求めて有機農業者に

29歳まで東京でアルバイトをしながら音楽をしていたのですが、音楽を続けるに当たって「人間とは何か?」ということを探しながらの環境が必要だと感じていました。それで帰農を決意し、福田に戻り、人力での開墾から始めて有機農業者となりました。未だに「人間とは?」を考え続けています。僕だけでなく、科学者も哲学者も企業人もあらゆる人が、人間は何者なのかを模索しているのではないかと思います。だからこそ皆懸命に生き続け、探求を続けるのでしょう。

美味しいと感じる部分は、有機的なやり方で進化してきた栽培や品種から形作られた

 僕たちの育てる野菜が特別かどうかは、食べる方が決めることだと思います。僕は単なる野菜だと思っています。人間の歴史を考えてみたならば、栽培するようになってからのほとんどの時間を、有機的なやり方で作物は育てられてきたと思うからです。化学肥料や農薬を使った栽培方法は、せいぜい百数十年程度の短い期間です。人間の遺伝子として受け継がれてきた美味しいと感じる部分は、有機的なやり方で進化してきた栽培や品種から形作られた、と考えてよいと思うのです。そのような理由で、太陽や雨風、土、草木、有機物という環境で育ったものを美味しいと感じるのは当たり前のことで、例えば久しぶりにそのようなものを食した時に、懐かしい美味しさを感じるのでしょう。

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植物は賢くて泰然としている

 デジタル全盛の今、香りや食味、食感、手触り、質感などを伝えることは、換えの効かない役割、それこそ今流行りの言い方であれば持続可能な役割があると思います。土や種、植生など解明されていないものが、僕たちの足元に沢山あります。解明されていないものと毎日対話して、そこで強く生きようとする野菜を収穫する時、人の小ささを感じます。植物はもっと賢くて泰然としているよ、と。土も種も、人間には作ることはできません。すべてはこの世の仕組みの中で育っています。そのような仕組みの循環の産物を届けること、そのようなことに関わる人が多く存在してほしいと願っています。